2008/08/27 13:08

次の公演はホールでのかなり大規模なものになると聞きびびりながらも練習に参加。
ところが方向性の違いと言うことでリーダーが抜け残り三人でやることになったのだが他のメンバーがこれまたルーズで練習に来ず結局殆んど私一人で打ち合わせをしてかなりぶっつけ本番で当日を迎えることに。
「ミナカタクマクスのようななテレビジョン人が死ぬと星になる」と言う3日間の公演が始まりテレビモニターが何十台か積み上げられた前で演奏することに。
始まりがいきなり私のドラム(まるで叩けないのによくやったもんだ)の刻みでドラを合図に始まり始まり。
途中の記憶は(記録もないし)あまりないが白虎社のメンバー紹介の時に何故かまたまたドラムに座っていて適当にシンバルを叩いていたのが今だに失敗だったと後悔している。まあ何はともあれ無事終了し後に打ち上げで白虎社の面々と京都の湯治場で疲れを癒したのがいい思い出だ。
それにしても公演のビデオが存在したら見てみたいなー残念。
その後白虎社に招かれた忘年会で一人一芸と言われ門司港バナナの叩き売りを披露したっけ・・・。
やがて白虎社は残念ながら解散してしまったが今でもあればきっと何らかの関わりがもてただろうが自分の作品の中に受け継がれているのは確かだ。
つづく・・・
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2008/08/24 21:06


白虎社はゆっくりとした動きの舞踏とは違い色々と怪しい道具や衣装をまといいわゆる大衆芸能と呼べるものでまさにデロリの世界だった。
当時白虎社の稽古場は京都駅の近くにあり当時色々な噂があったしどんな恐い人達がいるのだろうとびくびくしながら打ち合わせに出掛けて行ったらとても気さくで好い人ばかりで安心したことを覚えている。
始めの共演は京都で開催された確か「京都伝統芸能博覧会」とか言うイベントの野外公演で皆で会場を行進してからステージにあがると言うなかなか恥ずかしい思いをした記憶がある。(写真参照)
そしてこの共演が大成功で好評だったので次の大きな公演へと繋がった。
つ・づ・く・
写真は行進中の髪の毛ツンツンのわたし
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2008/08/21 19:51

関西に出て来たものの音楽関係の知り合いなど全くなく取り合えず音楽雑誌でバンド仲間募集記事を探すことに。
そこで目に止まったのが確か「民族音楽、即興音楽に興味ある方。楽器出来なくてもOK」と言うものだった。
面白そうだったので取り合えずメンバーに会うことに(この時会ったのが亡くなった二人)。
デモテープを聴いてもらいあっさりと「じゃ一緒にやろう」と言うことになり初めてそのバンドの曲を聞かせてもらった。
バンド「Hewas」の曲は日蓮宗で使う手に持つウチワのような太鼓を使ったり米びつをスリッパで叩いてパーカッションにするなど実にユニークなバンドで自分の感性にピッタリとはまったものだった。
「Hewas」の名は九州では知らなかったが関西では結構有名で「かげろうレーベル」に属していてライブも精力的にこなしていたしソノシート(昔のペラペラのレコード)もかなり売れていたらしい。
ライブでは後にアメリカで人気の出た「少年ナイフ」や「アフターディナー」等とよく一緒にやっていたそうだ。
そんなことも知らずいきなりメンバーとなり練習もそこそこにライブに出ることに。
その頃結構人気があったのでライブも月に1、2度のペースでこなしていった。
ライブの時の自分は上半身裸で体にペイントし主にベースと叫びと踊り(と言ってもわけのわからない)を担当しステージの上で死んでもいい(ふっ若いね)ぐらいの気持ちで動いていたので終わった後はいつも胃がひっくり反ってかげーげー吐いていた。
そうこうしてる内に帰省することがあり久し振りに前回書いた予備校近くの馴染みの喫茶店に顔を出し「今こんなんやってます」とHewasのソノシートをあげた。
するとある日当時異色の舞踏集団として世界的に有名だった「白虎社」から連絡があり福岡の喫茶店てソノシートを聞き是非共演して欲しいと言って来た。つづく・・・。
秘蔵写真公開(ひかないでね)
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2008/08/17 19:44

結局高校時代にカセット三本&ミニコミ紙を一人で作ったり陶芸部で作品を作ったり(結局この時の経験が忘れられず紆余曲折の後に陶芸家に)してちっとも勉強をしなかったので大学入試に失敗し予備校がよいに。
とは言え音楽をやめれるわけがなく予備校仲間と初めてバンドを組みライブハウスで演奏活動をしたりしていた時にたまたま見に来ていた音楽プロモーションの人に頼まれ何故か当時人気のあったロックバンド「ルースターズ」の古い映画館での博多公演の前座として出ることに(結局ライブ当日会場の持ち主と主催者側がもめ中止に)。
そんな事もありこのバンドを解散し新たに前回出てきた同級生とバンドを組むことに。
その名は「尿道シスターズ」(ひかないでね)と言いライブでは白衣に目隠しでフマキラーを持って客席に乱入したりして(ひかないでね)かなりアナーキーでたまたま従兄弟のバンドとライブハウスで一緒にになった時「お前の従兄弟こえー」と言われたと従兄弟に苦笑いされたりした。
結局私の大学進学にともないこのバンドも解散し福岡から関西へと音楽活動の場を移すことになる。
話しはずれるが予備校の近くに劇団の人がやっている喫茶がありお昼をよく食べに行く内に仲良くなりその出会いが後の音楽活動の重要な出来事へと繋がることをるい児は予想だにしなかった。
つづく・・・
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2008/08/15 17:38

前回以前のバンド仲間が亡くなったことを書いたがよくお客さんから「どんな音楽をされてたのですか?」と聞かれるので今の作風へと繋がる自分の音楽史をこの機会に少し書こうと思う。
もともと高校に入るまでは普通にフォークなど聴いていたがある同級生との出会いによっていっきに自分に眠っていた感覚が湧き出てしまった。
その頃はテクノブームで面白いバンドが沢山いたが中でもアメリカの「レジデンツ」と言う全員が目玉の被りものをしたバンドにドップリとはまってしまった。
その内自分でも音楽をやってみたいと思い出したが何しろ全く楽器が弾けなかったので取り合えず家にあったフォークギターと何故か従兄弟が持っていたバイオリンと家のゴミ箱とかとにかく音のでる物をかきあつめ、多重録音(と言っても二つのカセットテープレコーダーで音を重ねていくのでどんどん音は悪くなる)する為にそれらを一人で一つづつ適当に弾いたり叩いたりしてオリジナル曲を作り(夜中に録音中ヘッドホンのジャックがはずれた事に気付かず怪しい音楽が大音量で流れ母親に怒られ減点!)あろうことかダビングして近くのマニアックなレコード屋(確か中尾みえの弟さんとか言ってたような・・)さんに置いてもらった。
その時の名前が「ネコゲゲゲ」と言い結局三本までリリース!
この内の一曲が後におおばけするとは想像だにしなかったるい児であった。
つづく・・・
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